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こんなリビルト品は危険~ニンゲンはみな社会的生き物~

最近、顧客対応してて感じるんですが、みんなイライラしています。

 

やっぱり先の見えないコロナで疲れてるんだと思います。

 

倒産しそうになってるお店も多いし。

 

そういう時だからか、詐欺や劣悪な商品を売るとか、人を騙す商売も増えてます。

 

業界の実態を知っている私からすると、激安すぎる自動車部品もヤバいです。
5000円前後のリビルトのセルモーターとかオルタネーターとか、
中古より安いリビルトタービンとか。
最安値みたいな商品は気をつけた方がいいですね。

 

「テストに通過しただけの中古」に色を塗ってるだけ、というモノを
「リビルト」と謳って売っている実態が存在することを私は知っております。
その方曰く「保証をつけて売っているのだから製品だ」とのこと。

 

ほんと気をつけてください。

 

 

これから我々も不況の荒波に突入していくのでしょうけど、
そんなときだからこそ、ぼくが考えている「物を売る」ことへの考え方を書きます。

 

サービス、商品を売るということは、人の手伝いをするということ。
と、ぼくは勝手に思ってます。

 

つまり誰かの役に立つ、というのが社会人の使命。

 

いや、人間の使命かな。
ニンゲンという生き物はアリンコと同じく単体モジュールでは成立しない。生きていけない。

 

「社会的な生き物」なのだと思う。それが社会人。

 

それがないと短期には儲けることが出来ても、長期で続くわけがない。
誰かを喜ばせていないサービスには滅ぶしかない。

 

ぼくはクレームとか、お客さんに迷惑をかけそうになったりとかするとき、
そのことを思い出すようにしてる。

 

もし自店が厳しい状況に立たされたとしても、
そのことは忘れないでいよう、と決意しているのです。

 

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行き詰らない仕事術。~マヨネーズコーヒー

最近タスク管理とか効率化のことをよく考えてます。
(昨日も書いてしまいました)
今、いろんなアプリとかツール試してます。

 

ずっと考えている、ということは
それだけ気になっていることなんだろうと思います。

 

今から10年くらい前でしょうか、
弊社は地元の自動車工場に卸売りをしていました。

 

どこにいても何時でも携帯に仕事の電話が入って
一秒も暇がない、っていうところで自分の人生詰んでる
って気がついた。

 

あの頃、お盆の長期休暇中にこっそり入院して、
何もないように復帰、とかしててホント死ぬとこでした。

 

「自分って、この人生で何がやりたかったんだっけ?」

 

と思ったのが37歳のころだったでしょうか。
一秒も暇がないところに、バンド活動を始めてしまうという。笑

 

どうなったかというと、どうにかなるもので。
けっきょく気持ちひとつなのかなって思います。

 

逆に無理をすることもなくなって
自分に不要なものは自然に削がれていきました。

 

マヨネーズコーヒー、っていうのがあって。
(そういえば2年前くらいにバターコーヒーって流行ったよね)

 

 

ネットで前に見かけたこんな記事。
https://feely.jp/15298/

この記事は最近見たんだけど、
あの頃の自分のキャパは、大事なゴルフボールではなくって
些末な砂でいっぱいだったんだなあと。(しかも他人の砂)

 

先にゴルフボール入れなきゃってことですよね。
もう知ってる。手遅れ。早く言って。

 

この記事に出会うのがもうちょい早ければなあ。
10年くらいは人生失いました。

 

今もすべてうまく回してる訳でも当然ないんだけどね。
でも、家族、仕事、仲間、音楽を先にほうりこんでおけば
あとは何とかなるんだろう。

 

キャパオーバーにならぬよう、
効率化や仕事術、これからも研究していきたいです。

 

 

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自動車は不要??~効率化の果てにあるもの~

会社の業務の効率化にいそしんでおります。

無料ツールだけでもけっこう効率化出来るようで色々導入検討や勉強に今日は費やしました。

効率化、というテーマが最近世間でも重要になってきてると思うんです。

ホリエモンなんか究極に効率化してる人で、

割り切り方は今の時代の生き方として勉強になる。

ホリエモンの本が本屋に並んでいるのを見てぼくも一冊読んでみました。

 

 

彼は家も持たずホテル暮らし、持ち物も最小限。服はTシャツ、という究極なノマドです。効率化のため家族も要らない、という凄い捨て去り振り。人生を超高効率で生きている人って感じです。

 

ぼくは自動車部品の会社をやってるんですが、ホリエモン曰く、クルマは要らないと。タクシーで移動すれば移動の間も仕事が出来ると。

 

おお、確かにその通りだ。自動車はリスクもある上に高額。その考え良いです。

 

だが自分の会社は自動車関連。うーん自分の会社が必要ないことになりました。世の中に自家用自動車は不要なのではないか?何のためにあるんだろう?

 

色々考えてみた結果、たどりついた結論は自動車は人生を楽しむためにある、ということでした。

 

高効率化の果てにある姿は、無駄のない世界。

 

これからやってくる世界は、ユーザーの過去の購買傾向、趣味嗜好、行動履歴が巨大なデーターとして蓄積され、AIを使った高度な分析・予測が掛け合わされて、必要な物が必要な人に適量生産されてコストも安く手に入る時代が来ます。

 

農業だってロボットがやれば無駄もなく供給され食べ物は超安くなる。

 

移動もクルマの自動運転化や有人ドローンで、となり本当に単なる移動と化します。

 

 

なんだか、自分の大学時代の食事を思い出しました。

 

大学時代のあるとき、キッチンでサラダを作るために野菜を洗ってたら、思いついて。

「これをそのまま口に運んだらどうなる?」

盛り付ける必要も、皿を洗う必要もない。超効率化です。

 

それからというもの大学時代のぼくの食事はキッチンのシンクに頭を突っ込んでの単なる栄養補給となりました。

食事は人生を楽しむためにある、という側面をそぎ落としたんですね。

それが良いか悪いかの問題ではなく。

 

そう思うと、家だってそうだし、着る物だってそうです。

この前、友達と「音楽はあっても無くてもいい物なんじゃないか?」って話が出たんですが、

それは、服でも家でも自動車でもそうなんじゃないか?

(服がなくてもいいってことはないけど、着れさえすれば何でも良いとか)

そう思えば、全ての物は人生を楽しむためにあるとも言えるし、

そもそも、人生自体が楽しむためにある、とも言える気がしてきます。

 

 

世の中が進んで、圧倒的な便利が手に入ると、人は手間を、イレギュラーを、多様性を、関係性を求めていくんではないでしょうか。

 

うちのような零細企業も、そんな場所に居場所がありそうです。

 

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部品堂の中の人

私は幼いころに「スーパーカーブーム」があった世代です。

 

ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェといった、机の上にはたくさんのミニカーや車型の消しゴム。
同じ世代の方は共感していただけるのではないでしょうか。

 

ブームは幼い頃と共に過ぎ去り、ロックバンドに夢中になって、長いこと自動車のことを忘れていました。
ですが19歳のときに手に入れた、23万円の赤い軽自動車が自分の人生を変えてしまいました。

 

昭和60年式 ホンダ トゥデイ。
こいつが、とんでもないポンコツで。
全力で加速しても、出足が自転車より遅いんじゃないか、っていうくらい。
ちょっとした坂道を上るにもエアコンオフは当たり前。エンストもよくする。

 

でも美しいボディラインのこの車を愛してしまい、少しでも良くしようと解体屋さんをめぐる日々。
自分で色々メンテして(結果的には自分で壊してましたがw)徐々に自動車の知識を勉強していきました。

 

学校を卒業し、入社したのは自動車部品の卸売業。業界でも有数の優良企業。
自動車の知識をどんどん吸収し、アウトプットできる最高の環境でした。
お客様に「ありがとう」と言ってもらえるのがうれしかった。

 

当時乗っていたのは、水色のフィアットパンダ。

 

最初の車でメンテナンス自体が趣味になっていた私は、クルマは壊れてくれないと面白くない。
「こいつなら困らせてくれそう」という思いもあり、憧れの、そして恐怖のイタリア車オーナーに。

 

困らせてほしい、とは思ったのは確かですがこの車、想像以上に困らせてくれました(笑)

 

買って初めての高速道路、念願のフル加速すると、風圧でボンネットが開いちゃったり。
豪雨の時はワイパー速度が追い付かず、路肩で立ち往生。風流というべきか…
それほどに遅いワイパーなのに、ワイパーブレードが飛んでいくとか。

 

高速道路じゃオーバーヒートと排気温度上昇で、いっつもメーターとにらめっこ。
路上で壊れてエンジン停止とか慣れましたが、エンジンルームから火花出たときは焦った。
サイドブレーキ引いてても、車が動き川に落ちるなんて事件もあったなあ…(遠い目)

 

まだまだあるけど、修理費用だけで80万以上かかりました。
(懲りずにこの後、壊れるで有名のフランス車、シトロエンBXに手を出してしまうのですが)

 

だけどこのクルマたち、困らせてくれた分、忘れることが出来ない思い出もくれました。

 

ボンネットに反射する青空に、雲が流れていくのを眺めながら、窓全開で走った海岸線。
そこにたまたま大好きなナンバーがラジオから流れてきて…って瞬間の出来ごとが忘れられなかったり。

 

当時の広島では珍しかった水色のパンダ。道端に停めてたらワイパーに友達からの手紙が挟んであったり。

 

いつも自分の傍にあるクルマって、思い出の風景の中にいつもいる存在なんですよね。

 

どこにでも連れてってくれる相棒でもあり。
改良したり、メンテしたり、育てることができるメカだったり。

 

単なる移動手段でなくて、自分を表現するウェア。移動自体だって娯楽。
フィーリングと思想を持ったアート。文化。美。ひとりになれる自分だけの場所。

 

それがクルマだ、って思うんです。

 

愛するクルマと共に歩む人生。そんな風景を日本に広げていきたい。
だから、気に入ってるクルマを長く乗ってほしいし、カッコよく乗りこなしてほしい。

 

これまで私が出会ってきた、素晴らしい職人さんやメーカー、工場が作ったパーツで
そんな皆さんのクルマとの暮らし、文化を支えていきたい。

そんな思いで部品屋さんをやっております。