私は幼いころに「スーパーカーブーム」があった世代です。
ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェといった、机の上にはたくさんのミニカーや車型の消しゴム。
同じ世代の方は共感していただけるのではないでしょうか。
ブームは幼い頃と共に過ぎ去り、ロックバンドに夢中になって、長いこと自動車のことを忘れていました。
ですが19歳のときに手に入れた、23万円の赤い軽自動車が自分の人生を変えてしまいました。
昭和60年式 ホンダ トゥデイ。
こいつが、とんでもないポンコツで。
全力で加速しても、出足が自転車より遅いんじゃないか、っていうくらい。
ちょっとした坂道を上るにもエアコンオフは当たり前。エンストもよくする。
でも美しいボディラインのこの車を愛してしまい、少しでも良くしようと解体屋さんをめぐる日々。
自分で色々メンテして(結果的には自分で壊してましたがw)徐々に自動車の知識を勉強していきました。
学校を卒業し、入社したのは自動車部品の卸売業。業界でも有数の優良企業。
自動車の知識をどんどん吸収し、アウトプットできる最高の環境でした。
お客様に「ありがとう」と言ってもらえるのがうれしかった。
当時乗っていたのは、水色のフィアットパンダ。
最初の車でメンテナンス自体が趣味になっていた私は、クルマは壊れてくれないと面白くない。
「こいつなら困らせてくれそう」という思いもあり、憧れの、そして恐怖のイタリア車オーナーに。
困らせてほしい、とは思ったのは確かですがこの車、想像以上に困らせてくれました(笑)
買って初めての高速道路、念願のフル加速すると、風圧でボンネットが開いちゃったり。
豪雨の時はワイパー速度が追い付かず、路肩で立ち往生。風流というべきか…
それほどに遅いワイパーなのに、ワイパーブレードが飛んでいくとか。
高速道路じゃオーバーヒートと排気温度上昇で、いっつもメーターとにらめっこ。
路上で壊れてエンジン停止とか慣れましたが、エンジンルームから火花出たときは焦った。
サイドブレーキ引いてても、車が動き川に落ちるなんて事件もあったなあ…(遠い目)
まだまだあるけど、修理費用だけで80万以上かかりました。
(懲りずにこの後、壊れるで有名のフランス車、シトロエンBXに手を出してしまうのですが)
だけどこのクルマたち、困らせてくれた分、忘れることが出来ない思い出もくれました。
ボンネットに反射する青空に、雲が流れていくのを眺めながら、窓全開で走った海岸線。
そこにたまたま大好きなナンバーがラジオから流れてきて…って瞬間の出来ごとが忘れられなかったり。
当時の広島では珍しかった水色のパンダ。道端に停めてたらワイパーに友達からの手紙が挟んであったり。
いつも自分の傍にあるクルマって、思い出の風景の中にいつもいる存在なんですよね。
どこにでも連れてってくれる相棒でもあり。
改良したり、メンテしたり、育てることができるメカだったり。
単なる移動手段でなくて、自分を表現するウェア。移動自体だって娯楽。
フィーリングと思想を持ったアート。文化。美。ひとりになれる自分だけの場所。
それがクルマだ、って思うんです。
愛するクルマと共に歩む人生。そんな風景を日本に広げていきたい。
だから、気に入ってるクルマを長く乗ってほしいし、カッコよく乗りこなしてほしい。
これまで私が出会ってきた、素晴らしい職人さんやメーカー、工場が作ったパーツで
そんな皆さんのクルマとの暮らし、文化を支えていきたい。
そんな思いで部品屋さんをやっております。